駄文置き場、則ちゴミ箱

書きたいもの書きます

ただの空気の震え

 昔から自分が嫌いだった、って話は耳タコかもしれないが。それでも一つだけ自身の好きなところがあった。それが声、転じて歌。

 小学生の頃だったか、普通のいわゆる肩で呼吸している、そんな子供は呼吸に変な疑問を持った。「なんで息吸ってんのにお腹へっこんでんねん」と。低学年のガキに体積の概念は無かった。肩が上がって肺の位置が膨らむ分が引っ込んでるだけだというのは今考えればわかる話だが。そしてそれがおかしいと考えたクソガキは息を吸ったときに腹が膨らむように訓練をしだした。かくして少年は腹式呼吸を手に入れてしまった。

 小学校の時、学芸会で常に演劇を選んでやっていた。どうやら声を張れる人間というのは貴重らしい、担任に主役を頼まれたこともあった。まぁあがり症なので断ったのだが。歌に関して言えば好きだということには気付いていたし、合唱とかも結構頑張って歌っていた。

 中学生に上がって、俺の声はもっぱらバスケ部の声出しに使われるようになった。ただでさえ声出しのできないアホバスケ部だったのもあってそこでも割と重宝された、もっともずっとベンチだったから肝心の使う場面はなかったのだが。あとは学芸会の延長で文化祭でも演劇を志願し続けた。が、誰も賛同せず1年はクラス的には”運悪く”演劇をやれたものの、2年も3年も何も考えてない馬鹿共が舞台発表を志願、2年では通ってしまったし3年では通らなかったものの展示発表とかいうゴミ作りに興じることになってしまった。ちなみに2年は想定通り何も考えてない馬鹿が仕切った結果何の案も出ず平行線を辿り、直前になって面白さのかけらもない身内ネタを仕上げて会場を冷え切らせていた。ざまぁみやがれ。で、歌。うちの高校にも例にも漏れず合唱コンが存在したわけだが、まぁ何故か俺は言うなれば”「ちょっと男子ぃ~」側”に立たされていた。まぁ男連中が女子とパート違うせいで仕切るやつがいないのはわかる。でもそっちかと。ある程度以上の音楽の成績を持ってて吹部連中とそこそこ仲が良かったのがよくなかったらしい。パートリーダーこそ回避したが何故かパートリーダー会議行かされたりもした。なんでや。まぁその甲斐あってか知らないけど三年とも金賞のクラスにいた。多分1年は某吹部顧問が副担任だったおかげだし2年はいい感じに吹部が固まったのと担任が持ってきた曲が簡単なのにいい感じに聞こえる曲だったおかげだろうけど。3年は曲の力だけだった。正直賞貰うのにはふさわしくなかったと思う。全部ひっくるめて。あんまり納得はしてない。多分毎日日記せがんでた先輩にしか伝わんないけど音楽の授業であの吹部顧問が呆れて怒りもせず何も言わず前日までほっとかれて前日に頭下げてやっと教えてもらう形を取れたっていうクソクラスですぜ?そんなん喜べるわけなかろうに。

 で、高校。告白すると最初演劇部入ろうと思ってた。部活紹介見た瞬間に「あ、これダメだ、勝てもしないしやりたいまともな演技もできない」って直感的に感じ取った。いや言っちゃ悪いけど部員3人で何も聞こえないおままごと見たら誰でもそうなる。で、そのあと映像流れるターンになったら放送局とかいう機械に声に編集に楽しそうな雰囲気にでやりたいこと全部つまってそうな部活流れてんの。たしかフルドライブの軽快な音楽と共に。動画まだ持ってますよ製作者様見てますか見てるんでしょうね卒論やってください。体験入部始まった日に凸ったよね。話聞いたら大会あってしかも勝てるくらい強いらしいって。そりゃもう入るよね。男女比とか気になったけどそんなんどうでもいいくらい楽園だった。入ってからも。本題の声はもちろん3年間かけて磨くことができた。初めて意識的に発声練習する機会だった。

 高校時代言われた言葉で今でも脳裏にこびりついてる言葉がある。言った本人は忘れてるらしいけど。1年の春大に向けて朗読の練習をしてた時、男の先輩に聞いてもらったことがあった。そんときに言われた。「声はいいけどそれに頼んな」って。雷落ちてきたみたいな衝撃だった。真理だったしそんなこと言ってくれる人は今までいなかった。正直あそこまで朗読をがんばれたのはこの言葉のおかげだと思ってる。

 

 まぁこんなかんじで歌と朗読と演技と、声を使うものが好きだった。自分の声が好きだった。でもいい声はメインの武器じゃなくて付加価値なんだって知った。もちろん今でも声は好きだし声はいいと思ってるけどこれを生かすも殺すも自分次第ってのもはっきりと理解した。自己満足だけでもいいんだけどさ、こんなただの空気の震えが人の心を動かせる、こんな素敵なことあるかい?なんてクサいこと思いながら今日も俺は歌い続ける。