駄文置き場、則ちゴミ箱

書きたいもの書きます

俺もコミュ障だけど多分お前らも

 昨日は所属している大学のプロジェクトで成果発表会、及びそのあとの食事を交えた交流会があったので参加してきた。まぁコミュ障にとって発表形式のポスターセッションだったり交流会で知らない人間と会話する、というのはかなり精神力を使う仕事なのだ。さて今日はそんなコミュ障にまつわるお話。

 コミュ障コミュ障と俺のような人間はからかいの意味でも蔑みの意味でもよく言われる、まぁ事実なのだから当たり前と言えば当たり前ではあるのだが。俺の場合は人と声を出して会話すること、特に異性、年上、非知り合いの順で苦手。あと電話も苦手。あとは会話を続けること、要するに会話の途中で話題を引っ張り出すことがとても苦手だ。逆に言うと延々と一人で話している人の会話を聞き続けるのはそこそこできるのだが。まぁ似たような人はこのご時世多いと思う、まぁ表面化しただけで昔から多いのかもしれないが。大体そういう人はコミュ障と笑われ蔑まれる、最低でも一度はそういう経験があるもの、と思うが、果たしてそれが、俺たちだけがコミュ障なのか、といつも思う。

 コミュ障、正確に言うならコミュニケーション障害者には色々種類がある、と思っている。精神医療やら心理学的に正しい回答があるのかもしれないがそれは知らないのであくまで俺の考えで。一つは他者との会話そのものを苦手とする人、一つは会話を続けることを苦手とする人、一つは話しかけることを苦手とする人、一つは話を聞くことが苦手な人、一つは言葉を紡ぐことが苦手な人、この辺は大体自覚症状がある人間、そしてもう三つ、相手の話を聞けない人、日本語を、もしくは言葉を理解する能力に難がある人、そして会話によって相手に与える影響を考えられない人間。こいつらは大抵自覚症状が無いどころか自分は会話が上手いとまで思ってる場合がある。それはそうなのかもしれない、だって相手の話を聞いてなければ自分のしたい話をしたいだけできる、言葉を理解しなければ延々と訳の分からない話ができる、そして相手のことを思いやらない人間は相手を傷つけることが自分が優位に立つことだと考えている。そんな風に俺は考えている。

 これだけ言ったんだから自分をちゃんと分類すべきだろうと思う。正確には分類ではなくどの症状に該当するか、だが。まず会話自体が苦手なわけではない、むしろ好き。会話を続けることは前述のとおり苦手、続けるのも話しかけるのも苦手、聞くことはできるが耳が悪いせいで聞き取るのが苦手、言葉は出てこないし組み立てられない、で、後半、相手の話はきちんと聞けるほうだとは思ってる、日本語的に読み取ることも結構できてると思ってる。最後、相手のことを考えられているか、多分答えはNO、正確には考えているが他者が何を考えているか読み取れない、というのが本音。これだけ見ればわかるだろうが俺は本当に筋金入りのコミュ障なのだ。

 

 そんな訳で自分を例にコミュ障を分析してみたが、多分世の中会話が上手い連中以外はコミュ障なんだろう。いやまぁそうか、少しでもコミュニケーションに障害があればコミュ障と分類したのだから。多分n個当てはまったら…みたいに分類するほうが賢いんだろうな。最低でも他者の気持ちを思いやれてればいいな、と思う、例え実際に気持ちがわかってなくとも。

 さて最後に少し話を戻して、コミュ障コミュ障と煽ってくる人間に対しては言わないが蔑んでくる人間には言いたいセリフが一つある。「お前もコミュ障だろ」と。