駄文置き場、則ちゴミ箱

書きたいもの書きます

親不孝

 成人式で飲みに行った、正確には二次会のカラオケからの帰りの話である。タクシーでも呼ぶかと話していた時に同期の一人が親を呼んだ。そこはそういう家庭なのでよくある話であり申し訳ないと思いながらも厚意に甘えることとなった。カラオケには偶然、いや田舎なのでほぼ必然とも言っていいがその同期の三つ子の内の片割れがいた。それも翌日の朝一で帰るとのことで乗せられて行ったのだがまぁ悪酔いしてること。小学校から付き合いのある友人なので、楽しい場から帰されるとすぐ駄々をこねるのも少々強引な節のある同期の方がそれを咎めて連れ帰るのも見慣れてはいたのだが、その日より一層酷かった。歩いて帰るからいいだの折角の成人式なのにだの余計なことをするなだの、車内には罵詈雑言や駄々を含んだ酔っぱらいの怒号が響き渡った。まぁどうやら寝たようで途中からは何も聞こえなくなったのだが。そんな時に少しばかり心に来るものがあった。

 

 俺は一度親を亡くしかけている、というのは少し大袈裟かもしれないが、家庭でいろいろあった、というのは事実である。前にも家庭自体はクソだったとは言っていると思うが、そんな中でほぼ女手一つでここまで育ててくれた母には感謝をしてもしきれない。そんな母が、確か俺が中学2年の時だったか、乳がんになった。正確にはなっていたことが発覚した。話を聞くとそれより5年ほど前にしこりがあり、検査が陰性だったために放置していたんだとか。幸いにもそれほど放置していたにも関わらず進行はステージ2、治るほどのものではあった。と言ったって抗がん剤治療が始まればその副作用は想像を絶するほどの辛さであったろう。髪は抜け落ち、嘔吐は日に日に増え、家にいる時間も減るようになった。本人が言うには中でも一番つらかったのは味覚障害なんだとか。それらの闘病での入院や切除手術に伴い、俺はほぼ一人で生活するのと同じような生活となった。中学での授業に部活、それに加えた炊事掃除洗濯など、母が行っていた家事を行うようになった。それと同時に母はこれほどのことをしてくれていたのかと思い知ることとなった。昼は働きそれ以外は家事に費やし、子育てまで行う、そんな母の偉大さを普通は大学進学とかのタイミングで気付くのかもしれないが、俺はこの時点で知ることになった。よく達観視した餓鬼とかも言われたが大体これが原因だった。その後母は帰ってきたものの、髪と片乳房を失うという、おそらく女性にとって計り知れないほど大切な物をなくしてきた。笑っていたけど多分強がりや心配させないようにだろうと思う。もしくは笑っていなければやってられなかったか。

 そんな形で俺は一人暮らしと親を失うかもしれないという恐怖を中学生にして体験した。それ以来、親の悪口に敏感に反応するようになった。お前には恵まれた親がいるくせに、と思ってしまうわけである。まぁそれもそれで驕った話ではあるのだが。冒頭で話した彼もおそらく本心で言っているわけじゃないだろうが、それでも恵まれた親に向かって罵倒ができるとは本当に恵まれた身分だな、と思ってしまう。口にこそ出さないが。大切なものは失ってから気付くとはよく言うが、失ってからでは遅すぎるのである。親が生きているうちにできる限りの親孝行をしておいた方がいい、とは彼にも、そして皆にも、更に言えば俺自身にも言い聞かせたいところである。まぁ何も勉強もせずこんな駄文を書いていることこそが一番の親不孝だとも思うのだが。