駄文置き場、則ちゴミ箱

書きたいもの書きます

バカと天才は紙一重

世の中はバカばっか。日々俺はそう感じている。

ふと思う。バカとは何か。

例えばプロのスポーツ選手。彼らは大体バカのレッテルを貼られているわけだがそれは本当にそうだろうか。プロの勝負の世界で戦っている彼らが本当に思考能力が無く肉体能力だけで勝っている、なんてことがあるだろうか。

答えは多くの場合否だ。彼らは基本思考能力でも常人以上のものを持っている。特に個人技においては。もちろん監督やコーチに頭の部分を全て預ける選手もいるだろうが、それは少数派のはずだ。

じゃあ何故彼らが馬鹿のレッテルを貼られるのか。答えは簡単で彼らは学業や勉学を捨て、すべてをその生業とするスポーツに捧げたから。それで彼らはバカと呼ばれることになる。

ということは、だ。世の中バカと呼ばれる人間は「思考能力が劣っている人間」ではなく「学が無い人間」なのではないか、となるわけだ。

だがしかし、世の中誰もかれも大卒資格のために大学に通う時代。その時代においてバカばっかなのはいくら私文で男女の営みばかりを学んできた人間が多くても成り立たない。ということは「学が無い人間」と定義したものにもう一個奥があるんじゃないかと。

そこで思い当たったのが一人の配信者。名前は伏せるが彼女はまぁバカだ。勉学はまぁ高校中退レベルくらい。発言はぶっ飛んでるし支離滅裂。自分の発言が5秒後には理解できなくなっているなんてこともザラだ。でも俺は彼女は天才だと思っている。彼女のポエムはまぁもちろん自他共に認める現行黒歴史ではあるのだが、あの言葉は、あの世界は俺の頭からは出てこない。ゲームにおいてだって、何故かはわからないがハマったときのプレイはめちゃめちゃ上手いというかきちんと刺さる。

で、ふと気付いた。その正体は「母国語力」じゃないかと。

西洋人が名前に差が無い為に蝶と蛾の区別が付かないように、日本人が太陽を橙に塗るように、名前を知らない”未知”で溢れる世界は言葉を知らない人間でしか見ることのできない世界かもしれない。自分の出力した言葉が自分のイメージと違って破棄されることもあるかもしれない。言葉にして思考を整理することができないだけで、その思考が天才的なものだったら。『この辺にボール来たらドーンしてバーンよ』がとてつもない計算の果てに辿り着いた結果を言葉として出力することができないだけだったら。まぁ説明が付く。

CoCとかいうTRPGではキャラクターにいくつかのパラメーターを持たせるのだが、INT(Interigence:知性、思考力)のパラメーターは閃きに使うのに対し、EDU(Education:学力、教養)のパラメーターは<母国語>の技能に直結する。あぁなんだ、こんな身近に答えはあったのかと。

つまりだ。バカにつける薬は無いというが、バカの本質が「母国語を入出力できない」であるならば、バカを治すための勉強をしように教科書を読めないんだからそれまでだ。だがバカが「母国語の入出力ができない」だけで「物事を考える能力」とは別物だとするならば、もったいない。おそらく教養から来るものであるところの国語力は鍛えられるはずなのだ。であればINTが高くてEDUが低い人間が見えている世界が違うのならば、彼らの世界を想像して彼らの世界の未知を既知にしていかなければならないのだ。

別にこんな社会問題への言及をするつもりではなかったのだが気付いてしまった以上書くことにするが、日本人にバカが多い気がしているのは単に諸外国について俺が無知なだけじゃなく、絶対数としてそうなんじゃないかと思ってきた。その原因は1クラスあたりの教員数問題。同じ世界を見ようとしない限り国語力は伝えられないんだから。

脱線したのを戻すと、ここで大事になるのはINTとEDUが別だということ。つまりバカと天才は紙一重なのではなくバカと天才はまったく別の話なのでバカで天才なやつもいるということだ。

だから日本語読めよカスとあしらうのではなく日本語を読まなくてもいいように何らかの対処をしてやるだけで可能性がめちゃめちゃ広がる。最近TRPGGMするときとかは無意識に気を付けてたけど多分そういうこと。

まぁでも逆を言えば考えられもせず日本語も読めない奴もいるんだよな。どうしようもないというか、ネットで適当にガイドラインとか法律も読まずに誹謗中傷して訴訟されるやつとか。こういうアホが本物のバカなんだよなぁ。散ってくれ。