駄文置き場、則ちゴミ箱

書きたいもの書きます

観測者

人に見られるというのも色々と考えもの。俺は人の視線が苦手だ。人に見られていると、笑い声が聞こえると、それが自分に向けられた蔑みに感じてしまう。関わりのある人間が減ってそれも無くなってきたけど。ただし舞台上では別。劇でも朗読でも発表でも、自分のためだけの舞台だと自己暗示して登壇するからだ。

まぁ今日したいのはそういう視線の話ではなく、閲覧数の話。このゴミ箱ですらまぁ時々閲覧数が付いている。はてなブログの機能としてアクセス解析ができるので覗いてみれば4/22なんかは3回ものアクセス履歴があった。まぁその日このゴミ箱をブックマークしてまで覗いている引っ越し前日でほぼ何もない状態で暇だった人がいるらしいのと相関がありそうではあるが。

このゴミ箱ですらそうだが、何かしらを創作するというか、出力して、公開する、発表するということは観測者が存在して初めて意味が生まれる。まぁ実際には壁打ちとか自己思考整理みたいな場合もあるから必ずでは無いんだろうけど、少なくとも発表物としての意味ではそうだ。最近だと発表者は観測者をどんな形でも視覚的に情報として得ることができる。だから閲覧者数が0の生放送なんかやってると非常に辛いものがある。それでもアーカイブは残るし誰かひとりでもそれを求めてくれる人がいるのであれば、それが例え自分自身でも、継続する理由にはなるのだが。まぁ不定期でやるって言って丸1年何も動かさなかった挙句まだ再開もしていない某企画については一旦目を瞑っていてくれ。何とかしたい気持ちはある。

アクセス数、再生数、販売数、来場者数、同時接続数。観測者を統計的に数える指標はいくらでも存在する。そして、人間は、特に日本人はこの数字が大きい物に集まる習性がある。見えるようになって、いやなってしまったことで、勝手に観測者が数字だけで判断して、世の格差が大きくなった、これが現代社会の在り方なのは誰も否定できないと思う。

で、この”勝手にコンテンツの内容ではなく数字で評価するやつ”。こいつがなんやねんってお話。それそのものが悪いことかとは断ずることはできないが、それをわざわざ活動者に言うな。

俺の推しは確かに同箱内で見ても登録者数も少ないし同接も少ないよそれは事実、でもそれは当たり前じゃん。専業じゃないし本人がこの安定しない職業をメインに据えたくないって思って依存しないようにしてんだから。配信頻度もそんなに多いわけじゃないしコンテンツも同時視聴とかの人を選ぶものやってたりするし。

それをわざわざ本人に伝えんなや。お前は何様だ。比較する必要があるか。

一応言っとくがYouTubeで同接100人いるって相当すごいことだからな?それを上の方見たからって少ないとか適当言ってんじゃねぇよ。博物館で100カラットのダイヤ見たからって他人の5カラットのダイヤの結婚指輪に「あwそれ何カラット?5?wまぁそんなもんかwww」って言ってるのと同じでダセェし誰だよ感。

というだけの愚痴。正直PV数出して深淵を覗くとき深淵も覗いているムーブしたかっただけ。