駄文置き場、則ちゴミ箱

書きたいもの書きます

人生にリセットボタンがあるならば

俺は割と川柳やら俳句、短歌なんかが好きだ。別に歌人ってわけじゃないが普通に事柄を考えればなんとなく五七調で表現できるくらい。

思い出せる中では、小学校低学年か中学年で詠んだ「雪だるま 一人でできるにらめっこ」が最も古い俺の詩だろう。ガキの頃から変わらんなコイツ。

高校のころは国語教師の計らいで古文形式の短歌コンテストみたいなのをイベントでやってて、一応常連になるくらいには載っていた。まぁ内容が内容だけに詠み人知らずとして匿名掲載とかいうおもろい状態だったんだけど。ちゃんと思い出せないけど上の句が学祭の花火綺麗だなみたいなので下の句が「隣に君がいればいいのに」みたいなの。そういうぼっちで彼女いない歴=年齢みたいなネタで書いてた。まぁ事実なんだけど。

今詠むなら「打ち上げて終わりを知らす火を見ても差し出した手は冷え切ったまま」とかかな。古文覚えてないから現代語でしか書けないけど。

そんな俺が数年前から頭を悩ませている上の句がある。それが「人生にリセットボタンがあるならば」。多分初出は俺じゃないと思うけど、いつ頃だったかふと思いついて、そのままずっと下の句が思い付かない。正確には思い付いては否定し、思い付いては拒絶し、思い付いては受け入れられないでいる。

まずリセットがなんなのかって話になる。強くてニューゲームかもしれないし、全て忘れて何度も同じことを繰り返すかもしれない。はたまた、転生を指すのかもしれない。そしてこのリセットボタンは?ファンタジーな話だから物理的なボタンだとしよう。そのボタンについてどこまで自分は知れる?押したら何が起きるのかどこまで想像できる?そのボタンに対する対価は?そして、誰が押す?

もちろんこれらを考えて、自分なりの答えを出すのが上の句を与えられた短歌の詠み方であり、面白さだと思う。でも考えても考えても、答えが出ない。理由は簡単、自分の今までの人生をもう一度なぞりたいと思えないから。変えるべき、変わるべき点はあれど、俺は俺にしかなれないから。もし俺の失敗というミクロではなく「人生」というマクロを変えたいなら、生まれてくる親を変えるところがスタートラインだから。

だからきっと、人生にリセットボタンがあるなら、あってしまったら、俺はそれを前に逃げなきゃいけない。「押される前に首を括ろう」。きっとこれが俺の答え。でもこの答えを認めた瞬間、俺に残された数少ない自己肯定を否定で塗りつぶすことになる。自分にかかった、かけた死ねない呪いとの矛盾への苦しみが大きくなる。だから新しい答えを探す。どこにもなくても。

文章にして初めて気付いたけど、多分この下の句を探すことが俺にとっての「自分探し」なのかもしれない。知らんけど。

締めも思いつかないから多分発想元になったであろうkemuさんの人生リセットボタンの歌詞でも引用しとこうか。

”僕のいない世界こそきっときっと答えと思ったがどうでしょうね?”