駄文置き場、則ちゴミ箱

書きたいもの書きます

 本日もまたセンター試験の話に通ずるものがあるが、センター試験とは人生の分岐点の一つである、とは昨日も言った気がする。そして昨日はそこに至る過程の話、今日はその後の話である。

 将来の夢と聞かれて今まで何と答えてきたか覚えているだろうか。俺の場合は幼少期が仮面ライダーだったかウルトラマンだったか、小学校くらいの頃は科学者と答えていた気がする。その後は常に「特になし」。つまらない子供だったと思う。実を言えば今でも真にやりたいことは見つけられていない。

 人にとって夢を諦める瞬間というのはいくらでもあると思う。俺の場合は諦めたというよりは何かが違うと思ったのが正しいが。小学校の終わりごろには何かが違うと、具体的に何が違うと思ったのかは思い出せすらしないが、まるで恋が冷めるかのように夢から覚めていった、そんな感覚だったはず。

 

 夢から覚めて気付いてしまったのが俺にはやりたいことがない、という事実だ。そう言うと多趣味じゃんと返されるかもしれないけれど、趣味は暇つぶしができるものにしか過ぎない。何もしていない暇な時間が嫌いなだけであって、やりたいからやっていると言えるものがない。そのせいで趣味が浅く広く広がっていく。中途半端で新しいものを手に入れたくなる。悪い癖である。

 そもそも俺には秀でた能力が無い、例えば料理を見てみても俺は料理が上手いのでなくただ知識があって、感覚を手に入れられているだけなのだ。強いて言うなら人よりも理解することと最初の熱量だけが秀でている。だから人と同じ時間努力したり、自分より長くやっている人に対してはほぼほぼ能力で勝つことができない。

 そうすると自分にとって向いていることはほぼ無い、やりたいことも無い。何をやらせても中途半端。こうやって自分を卑下することが枷になっているかと言われると否定はしきれないが。本当に将来の夢をどうやって持てばいいのかすらわからない。これだけ怠惰に生きてきた人間にどんな未来が待ち受けているのか、まったく想像もできないし恐ろしくて堪らない。

 大学で話す人たちや成人式で再開した友人たちや同期達、彼らはきちんと未来を見据えて生きていた。どころか今まさに夢を叶えようとしている人間すらいた。焦りが増してくるし劣等感がどんどん大きくなる。本当に彼らはすごいと思うし、俺はゴミクズだなと思う。いつかこんな話も笑い話にできたらいいんだけれど。今はやりたいことではなくやれることを一つずつどうにかこなしていくのみである。多分これじゃダメなんだろうけどね。