駄文置き場、則ちゴミ箱

書きたいもの書きます

この嘆きに意味はない

 連日ノスタルジックな気持ちに浸っている俺ではあるが、いいことばかりではない。否、悪い思い出の方が多く思い浮かんでくる。地元が好きではない、という話は前にも言った気がする。

 そもそもの話、俺はゴミのような家庭で成長している。ゴミから生まれた物もまたゴミだったというだけの話である。アレのことを父親と呼ぶことはもう金輪際無いだろうし、法律上も精神的にももうそうではない。そんな家庭で過ごすしかなかった地元である、嫌でも思い出にはその思い出したくない記憶が付いてくる。

 小学校、ここから俺に対するイジメという奴は始まりを見せている。単純に太っていることは彼らにとって物理的にも精神的にも叩きやすいサンドバッグに見えるのだろう。一番最初に表面化したのがたしか掃除の班の一つ下の奴だったと思う。その時も野球やってたっけね、一応言っとくと名前も覚えてるから仮に君らを不幸にできるチャンスがあるなら喜んで尽力するよ。もちろんこの後出てくる奴らもな。まぁ小学校はそんなにひどい物でもなかった、ただ罵倒が飛んでくる程度だった。

 中学校、男子バスケ部に入ったのが一番の失敗だったかもしれない。部内でも蹴られ殴られはよくあることだったし、罵詈雑言が飛んでくるのが当たり前だった。あとお気に入りの折り畳み傘壊したお前は絶対に忘れてるだろうが俺は忘れてないしその他俺にした仕打ちも含めて顔面がわからなくなるくらいまで殴らせろって気持ち。あとついでにあのゴミとの出会いでもあった。女子ってのは暇でめんどくさい生き物らしく、敵を見つけたら共通の敵として仲間意識を持つ、というのを楽しむらしい。最初は罵詈雑言に始まり、陰口、消しゴムのカスの投げつけ、読書の邪魔、その他色々とされた気もするが思い出せない、思い出すだけでも吐き気がする。ついでに言えばだんだんと教室での居場所も減っていった。どうやらそいつの周りの奴らも色々としてきたらしい。この辺りから俺は他人が笑っているところを見るのが苦手になった。そういえばとある女子から彼氏伝いにまったく身に覚えのないセクハラのでっちあげをされたこともある。正直意味もわからなかったしそいつに恨みを買うようなこともした覚えはなかったがゴミの差し金だったんだろうか。あと図書室で静かに本を読んでる時ですら各学年のアホどもに邪魔されていたのは本当に恨みが溜まる。

 高校に入って、ありがたいことにそのゴミ共とはクラスが離れるようになった。まぁそういう奴らは大抵何も考えずに底辺私立大学とか就職とかでヤリサー通いとかが目標なんだろうしそんなもんか。ついでに放送室という居場所ができたのでそこそこ快適だった。まぁそれでも色々無かったかといえばあったと思うしゲーセンで音ゲーしてたら盗撮されてSNS上にアップされて笑いものにされたってのもこの辺だったと思う。もしまだそれ残ってるようなら訴えられるかもしれないんで誰か証拠ください。

 

 まぁこの程度と考えれば楽な方かもしれない。世の中にはもっと酷い人間なんてごまんといると言えばその通りだろう。それでも俺が傷ついた、トラウマを植え付けられた、金銭的被害を受けた、社会的に被害を受けた、これらの事実は覆らないし絶対に忘れない、いつかどうにか報復したいと考えることもある。正直に言えば殺意も感じたことはある。あの時殺せたなとか、あの時殺してたらどうなったかなとか、思ったこともある。そんなクソみたいな思いにされたのも嫌な記憶と現在への後遺症。あとついでに言えば父親がどうとかそういう話に答えにくくなったり周りがそういう話をしてるだけで複雑な気持ちになるのがホントにクソ。

 こんな感じで俺は地元が嫌い、ついでに今でも人という生物が嫌い、もちろん自分自身も含めて。もちろんいい思い出もあるが、それを思い出すともれなくこれらの嫌な記憶まで付いてくる。本当につらい。多分あいつら全員が死んでもこの症状は治らない、死よりも重く深い傷ってやつ。いつになったらこの生傷にかさぶたができるのか、いつになったら俺は心から人を愛せるのか、誰か助けてほしい。