駄文置き場、則ちゴミ箱

書きたいもの書きます

人は見た目が全てじゃないが

「人は見た目が全てじゃない」とはよく聞く言葉だが、最近特に思うのは「外面にも内面は現れる」ということ。

 

例えば俺らのようなオタクは正直見ればすぐわかる、誰だってわかる。ファッションセンスが絶望的だしキャラとのコラボグッズ以外に金がかかってないのが簡単に見える。あとそれを隠そうともしない。あと最近わかりやすく可視化されてるのがバカ。見分け方は簡単でだいたい今はウレタンマスクを鼻出しで着けてる。3密に定評のあるバ先でそれをやってるやつの仕事をチェックするとだいたいミスが見つかる。しかもだいたいまぁ真面目にやってれば見直しで気付くであろうミス。

 

当たり前ではあるけどこうやってわかりやすい世の中になったおかげで見えやすくなっただけの事実ではあるんだけど。まぁでも逆も然りで外面を変えれば変わる内面もあるだろうし外面を変えて偽る外面もあるんだろうな。クロサギで黒崎も最初服選びから入るし。

 

変わる金と、見られる相手と、ついでに装備に耐えられるだけの内面が有れば、一回くらい外面から変えてみたいんだけどね。大人しくバ美肉でもすっか。

これはただの怠惰

 これはどっかの誰かさんが記事を書けって言ったから取っただけの怠惰な筆、そして語るは怠惰な俺の話である。

 最近何をするにも力が出ない、集中できない。原因はわかりきっていて俺の留年確率が96%くらいになったから。まだ確定してないだけで処刑台で首抑えられてる感じ、あとは紐切ってギロチン落とすだけのやつ。正直吐き気とかするくらいには病んでるし酒飲んで笑ってないと押しつぶされそうになってる。自分が悪いのはわかってるし、そもそも多分大学生というか人間に向いてないのも理解してる。でも辛いもんは辛い。

 来期からの身の振り方も金のやりくりも何も思いつかない。奨学金止まるし。とりあえずバ畜はするけど結局いくらまで稼いでいいのって感じだしなんもわからん。これもこれで勉強しなかった結果だと思うし。

 ホント、どうやって1年生きてけばいいんだろ、研究室居候させてもらいながら研究はやるとしてみんなが卒業研究するなか個人研究するのもメンタル削れるし。とりあえず休学届かーとか。どんどんやらなきゃいけない事とかやりたい事とかやったほうがいい事とかが溶けてぐちゃぐちゃになっていく。頭が痛んで心が病んで、体は疲れてどんどんぐちゃぐちゃになって。正直今は自分が何をしているかすらわからない。

特別

前にもどっかで言ったかここで書いたかしたような気がするけど俺はあまり誕生日という日が好きじゃない。というか、日付や時間にラベル付けして特別にするのがあまり好きじゃない。

記念日だからいい事あるとか、クリスマスに1人だからつらいとか、何かが起きた時にその原因を勝手にその特別な時間に紐付けてしまう。この紐付けはやりたくなくても、やらないようにしてても無意識に起こってしまう。そしてそのプラシーボはすごいもので、特にネガティブに事を考える俺にはだいたい不幸(と称するがおそらく原因の大元は自分にあるのであろうもの)が降りかかる。

その紐付け行為がやめれないなら時間にラベル付けする事をやめよう、特別な日を特別でなくしよう、という話。

ただ自分がそうだからと言って他人に誕生日だーなんて言うな、なんて気持ちは毛頭ない。基本的に覚えないのと日付感覚をなくして今がその日だと気付かないだけ。今は特別親しいような友人もいないし基本的にプレゼントを投げる事もない。Twitterに呟いていたらいいねを押すだけ。まぁ買い物の場とか飯の場とか、みんなが何故か祭壇立ててるとか、そういう簡単に参加できる状況ならノリでプレゼントも出したりするのだが。

 

まぁこうして自分の誕生日を公開しないでいると大体の人間に誕生日を祝われないというごく当たり前の因果が生まれるわけで。その事自体は平凡な日を平凡に生きる当初の目的を果たしているからいいものの、やはり祝われて色々なプレゼントをもらったり、ほしいものリストからテロをし合うのを見ると、何か損したような気分になる。つくづく強欲な馬鹿だこって。

なにか

何を書きたいわけでも何かを思いついたわけでもないけど唐突に記事が書きたくなった。自己嫌悪の話とか最近の話とかまだ部屋が片付かない話とか金が無い話とか、色々話せることはある気がするけどうまく文章が紡げない。

この感情の正体が何か全く分からないし状況も整理できない。とりあえず深夜特有の変な思考だと思えばいいか。

自分が変に秀才扱いされるような話とかポケカ大会の話とか段々タスクに押しつぶされてる話とか話題はいくらでも出てくるのに文章にならない。

なんかいつにも増して人間として最低限度を満たせていないような気がする。

辛いのか?いやそんなことはなかろう、この週末はいつも以上に遊んで人と会って休んだ。なのにどうして?

文章が書きたくなったのは多分推しが日記付けるって言ったから。

じゃあ今俺が壊れてるのは?

考えても仕方ないし明日に備えて寝るけどさ、何なんだろうなこの感覚、ホントに

不変

 推しが引退を発表した。着飾らずに言えば非常にしんどい。けれども同時に、門出を祝いたいという気持ちも存在する。

 

彼女、出雲霞はVTuberグループにじさんじの新たなプロジェクト、にじさんじSEEDsとしてデビューした。このSEEDsの特徴として「他のライバーよりもキャラクター性が強い事」がある。メタ的に言えば少女を基にして作られた学習型AIのcase:05である「出雲霞」と呼ばれる存在と"彼女"自身が彼女の中に同居している。その彼女が過去を写すAIとして今を生き続けることで出雲霞を変えたくない、生身の出雲霞をこのプロジェクトの為に拘束しつづけたくないとしてプロジェクトを凍結、引退するという。

 もちろんどこまでが物語に合わせただけの口実かなんて誰にも分かるわけが無いが、きっと彼女なりの本心が含まれていたんじゃないかと俺はそう思う。

 

 何度やっても別れには慣れないが、それでも推しの門出を祝いたい。そんな矛盾を孕んだ感情と共に今日も推しを推せるうちに推し続ける。

幸せも悲しみもいつかは消える

 今日という日が嫌いだ。いつから、と言われるとわからないが、とにかくあまり好きでない。幸福であることが当たり前に感じて不幸が強く感じられる。なんでもない日が特別になるのがつらい。

 プレゼントっていう文化もわからん。人に渡すのはするけど貰い方もわからん。わからんので教えようとも思わない。

 まぁこうやって捻くれた自分自身が1番嫌いなんだけど

 

 それでも時間って奴は残酷に巡ってくるので俺は毎年決まって、とある友人の言葉を借りてこう言う。

「また1歩、また1年死近付いた」と。

Dear my "Hero"

 山の日であるところの先日は非常に俺にとって暑い日だった。もちろん加賀美ハヤトという1人の男の子によってVTuberの歴史を塗り替えられる瞬間を目撃した、というのも大きい。アレはVTuber好きとして、そして技術者として、大変興奮させられる放送だった。見てないなら見てほしい。

 んで本題。もう一つのビッグイベント、端的に伝わるように事実だけ述べるなら「推しが転生して帰ってきた」のである。初配信を見て表情に面影を感じて、いやいや人に似てるなんてそんなに言われて嬉しいものでもないしと自分を律していたらその"彼女"の声が聞こえてきた。

 "その子"は黎明期を支えたレジェンド的なVTuberの運営会社が立ち上げた事務所の取り込みではなくオリジナルの子だった。はちゃめちゃに明るく、交友関係も広く、そして何よりその真っ直ぐな歌声に惹かれた。そして"その子"はその事務所の解体と共に引退する事となった。これは推測でしかないけれど、多分"彼女"自身自分が頭が回る方ではなく、権利関係や金銭、機材方面のサポート無しに活動するのは困難だと判断したのではないか、と思う。

 その"彼女"が"この子"として帰ってきた。この状況は非常に複雑で、"この子"との出会いであり、"彼女"との再会であり、そして"あの子"との別れでもある。多分正しいのは難しいことは考えず"この子"も"あの子"も同様に愛して推せばいいんだろう。でもその正解は難しいもので、どうしても重ねてしまう、別にしきれない。

 ただ1つだけ言えるのは、消息を絶っていた"彼女"が元気だった、それだけで酒が最高に美味い